自分を卑下していた時の恋愛
つい最近(3年くらい前?)までかな、自分が大嫌いだった。
どうして私のような魂が生まれてしまったのか、本気で悩んでいた。
それを忘れようと日々朝起きて、家を出て、会社に行って、仕事をしていた。
家に帰って一人になると、また自分の不甲斐なさに凹んだ。
でも、長く生きれば生きるほど、悩むことに疲れる。毎日毎日凹むと、凹むことに疲れる。なんか、疲れてきたー、悩んでも明日変われるわけじゃねー、寝よう!
それを繰り返していると以前ほど自分を責めることはなくなった。(今でも中の下かなー、って思うことはあるけれど)
当然、こんなん(←自分を卑下していること)で恋愛なんてうまくいきっこない。
結婚なんて滅相もない。
「私なんかと付き合ってくれてありがとう」から始まる
付き合っってくれる男性には、何度も「私なんかでいいの?」と聞いていた。本当に不思議だった。なぜ私を選択したのか、私のどこがよくて付き合うのか。私はさっぱりわからない。だから感謝でしかない。感謝することはいいことだと思うが、はじめっから対等な関係じゃない。そこが相手を困らせる一因だったと思う。
はじめから「いつか振られる」と思ってしまう
付き合っている間も「私なんかと付き合うってことは、なんかウラがあるに違いない」とか「いつか好きな子ができたり、嫌われて振られる」というネガティブな考えばかりが浮かんだ。彼といる幸せを噛み締めると同時に、いつかくる「別れ」を思うと不安でしょうがなくなる。でも、今付き合ってるだけでも幸せじゃん!という自分がいる。幸せと不安が頭上でケンカして、もう何が何だか、訳わからなくなっていた。
振られる時のセリフは大体「一緒にいると辛くなる」
そんな私に彼(ら)たちも困惑気味だった。一緒にいて楽しいはずなのに、涙がこぼれたりするのだから。相手は「な、なんで?」と思う。私も彼だったらそう思う。「いつか別れる」と口走ると、当然怒られる。別れることがわかっていたら、付き合わない。そりゃ、そーだ。そして、今まで付き合った人のほとんどに、決まって最後に「一緒にいると辛くなる」と言われるのだった。
結婚を意識する人とは恐れ多くて付き合えません
そうやって、付き合っては別れ、付き合っては別れしてくるとどんどん歳も取ってくる。付き合う相手も「結婚」を意識する人が現れるのだが、自己否定のすごい私は家族のイメージが全くつかない。
お互いの両親に挨拶に行き、兄弟、親戚と顔合わせをし、お盆正月には連絡をとる。
そんなの身分相応じゃない!
そう思ってしまうと、「…結婚はないかな」とポロっと言ってしまうのである。
そうして、「おまえ、いい歳して結婚したいとか思わないのかよ」と捨て台詞を言われてサヨナラするのである。(でも、そんなこと言うヤツとは別れてよかったよ、ほんと)
つくしてつくしてつくしてつかれる
逆に自己肯定感の低い人によくあるのが、尽くしてしまうタイプ。私はまさにそれだった。家事洗濯もしたし、ご飯もおごったし、彼氏が病気になれば飛んでいって看病した。でも、そんなことは特にありがたく思われないんだよね。逆に迷惑している人もいたかな。
特に見返りなんて求めていなかったけど、私みたいな人間と付き合ってくれているんだから、これくらいできないと。と、思っていたところがある。
しかしながら、お金も削られ(実際、結構貸して返ってこなかったこともある)、時間も削るとなると何をやっているんだろう、という気持ちになってきてドッと疲れた。
自己否定の総決算「自分の希望なんておこがましい」
結局、自分が何がしたいのかわからない。というか、何がしたいなんて希望をいうなんて滅相もないと思ってしまう。
そんな気持ちになると、正直ゴールが見えなくなるのでさらに訳わからなくなるのであった。恋愛をしているときは、幸せと不安や虚しさが屈折した複雑な気持ちになって、この状況が自分にとっていいのか悪いのか判断できない感覚だった。そんな気持ちがずっと続いた。
「死」が近くなって自分に素直になってみると
そして、結局別れて、最初は涙が止まらないのだが、泣き疲れてベッドでゴロゴロし始めると、あ、もういろいろ気にしなくていいんだ、と気づく。相手の顔色とか、結婚とか考えなくていいんだなと思うと急に気持ちが軽くなる。
フリーダム!!!
歳を重ねれば、当然死が近づいてくる。残された時間を考えると、愛だとか恋だとかで悩む暇がなくなるのである。
この世でパーっと楽しまないと!!もっと自分のために時間を使わないと!!!
以前、元カレからなぜか1年ぶりにLINEがきた。当然ブロック。あの頃に戻りたいなんて全く思わなかった。別れてよかったという気持ちしかなかった。
自分の気持ちに素直に向き合う。本当に自分は今の状態がいいのか、悪いのか。居心地なのである。感覚である。アタマで考えたり、理屈で考えてはいけない。
そうやって、自分の感覚に素直に従うのが自己肯定感なのかな、と思うと、一人で居ようが誰かと居ようが自分を責めたり、卑下することも徐々になくなっていきましたとさ。