ひらきなおり日記

ロスジェネのライフ

うつが治った日にある人から連絡がきた

私は3年ほど前にうつを発症した。休職まではしなかったものの休む時はなるべくベッドから出ず、ちょっと元気になっても頻繁に誰に会うこともなく、本を読み、ヨガだとか瞑想だとかして何とか回復の時期をまった。

そして、ついに!!!

先月から断薬を初めて、経過観察ののち、もう病院に行かなくてもよくなったのである。

最後に先生や受付の人に「ありがとうございました」と言って病院を去る時の感無量な気持ち。長かった〜

自分が休職せずに通院をしていることが正しいことか、わからなかった。(普通だったら1ヶ月くらい休職したりするんだろうけど)

けれど、精神科医の先生も「薬やめていいよ」って言ってくれてるし、とりあえず治ったってことで。病院を出た瞬間、秋の空が物悲しく広がっていた訳だけど、私は嬉しくて心の中で「ヒャッホー」と叫んだ。

 

そんな幸せを噛み締めた日に限って、3年前に別れた元カレからLINEがきました。

なんちゅータイミング。

しかも書いている内容が「久しぶりー元気?」みたいな軽い挨拶じゃなくて、

「また入院した。もうダメかも」

である。

一瞬グラッと来た。

 わたしがブロックし忘れたのがいけないのだが、スマホに表示されたメッセージにはハッキリそう書いてあった。

私は既読スルーして、慎重に削除し、改めてブロックした。

 

彼が入院するのは2度目である。

1度目は私と別れた直後だった。彼はフリーランスのデザイナーなのだが失踪癖があり突然連絡がなくなるということが度々あった。しかし何故か売れっ子で、仕事が減るどころか増えていくという不思議な現象が続いていた。しかし、流石に周囲への迷惑がひどいのでコーワーカーに「病院で診てもらってこい」と言われたのである。検査入院までして下された診断結果は、ADHD

内心、検査しなくても知ってる、という納得感があった。その頃、私たちは別れる寸前まで来ていて、入院中に会ったのが最後だった。

「また入院」とあるものの、ADHDで再入院なんてあるのかな?と一瞬不思議に思った。もしかしたら別の疾患かもしれない。しかし、私には関係ないことだ。

例え再会してもいい方向には転ばない。彼は何かしらの救いというか期待があるのだろうが、私にはない。これをボタンの掛け違いとでもいうのか。

 

私のうつの理由は仕事だけじゃなく、彼といたことも一因だった。

彼といるときの私は、自分を責めてばかりいた。彼は学生のころ優等生だったようで、一流大を卒業し、友人知人もそれなりの大学を出ている人で固めていた。私に友人を紹介するときも何故か学歴がついてきた。

ただ、私は四流の女子大卒で、大学へ行くのがいやで半年休学までしている。結局親に「大学だけは卒業して」と頼まれて仕方なく卒業まで籍をおいた。(それは後々、私に職業選択の自由をもたらしてくれたので、反対した親には感謝なのだが)

そういう訳で、学歴重視の彼が何故私と付き合うのかも不思議でならなかった。そして、常に誰かと自分を比較してしまう状況に居心地の悪さを感じた。

重ねて仕事もうまく行かず、ストレスが溜まりに溜まったのだろう、うつ病を発症したのである。

 

あれから数年が経ち、彼と過ごして正直しんどかった日々を徐々に忘れ、ストレスも消えつつあった矢先、彼から連絡が来たのである。

結果、ブロックして終わりなのだけれど、この事を誰かに話したりすることはなかった。相談するほどのことでもない。もう自分の中で決着はついている。

あの頃の自分と今の自分、変わったところといえば、誰かに振り回されたり、比較することがなくったところか。会社では相変わらず高学歴が高収入で転職してきて、学閥があったり、ゴマスリが評価されたりしているが、その輪には入らないし、入れない。それに昇給したところで上限決まってるし、税金差し引くとそれほど差がないのである。

数字だけを追えば、誰もがそう実感するだろう。だけど人は自分を奮い立たせる為に色んな、余計な鎧をつけたがるのだ。

私はそんな人に対して仕事以上の評価はいらない。仕事して納品して対価をいただく。そんな単純なことだったら私でもできる。それだけだ。

元カレに対しても同じだ。期待とか思惑とか見えないものに色々悩んでも答えは出ない。

そうやって開き直ったら、不思議にポジティブになれて、迷いなく前に進めるようになる。

会社のスケジュールを暗号にした

最近、アイドルの瞳に映る映像で住所を特定した、という事件があった。

 

そこまでの執着心はないものの、人は他人が気になる時が時々ある。

以前、私が某プロジェクトを離れる時、一緒に仕事していた同僚から「次は案件するんですか?」と聞かれた。特には決まってなかったので「あー、特には決まってないけど」とテキトーに答えていた。そうすると会う度に何度もしつこく聞いてくるのだ。え?なんで??もう、あなたと私が仕事で絡むことないのに。

 

また別の日、私の会社はスケジュールをPC上のカレンダーで管理しているのだが、その同僚は全く仕事で絡みのない人に「私、〇〇さんのスケジュール、チェックしてるんですよーいつも忙しそうですね」と言ってるのを耳にした。え?なんで?なんでチェックしてるの?

…他人のやってることが気になってしょうがないのだ。そして、側から見て忙しそうな人、プロジェクトを降りたり、異動したり、転職した人など、側からみてちょっとでも目立つような行動を取れば、その理由が知りたくて知りたくてしょうがない。

そういう人は時々、というか結構いる。

 

というわけで、噂のネタになってもいいけど絡まれるのが面倒なのでスケジュールを暗号化してやった(仕事で絡む人も閲覧するから外出と打ち合わせは素直にそのままにしている)。例えば、アルファベットだけで書いたり、「夜露死苦」みたいな漢字の当て字を使ったり、おかしな漢字変換をそのままにしたり。どうだ、参ったか。

 

あくる日、他人の行動が気になってしょうがない同僚とばったり出くわした。別に挨拶だけで終わらせたかったけれど、すれ違いざま、

「あの謎のスケジュール、何?」

よく見てんなー。気にしてんなー。

「何ですか?カレンダーのことですか?」私はとぼけて続けた。

「まともに打つのがめんどくさい」

以上です。 

「賞」なんて裏で政治が動いているに決まってんじゃん

ノーベル賞のニュースが流れてきてるので、ここで一つ。

 

私は、基本「賞」なるものに「すごーい」という価値観を持っていない。

これは生まれた時からそう思っていたのではなくて、人生の節目節目で遭遇した「賞」体験に基づく。

かくゆう私も若かりし頃は、賞レースなるものに没頭したこともあった。(基本、賞より賞金が欲しかったからなんだが)

元々広告ギョーカイで働いていたので、広告賞なるものがたくさん存在した。仕事でもらえるものもあれば公募を受け付けるもの。賞金が出るものもあれば、そうでないもの、様々だ。一般企業でいう社長賞なるものもある。

私も何度かトライして全く引っかからなかった訳ではないのだが、数打っていくと、どうやら賞(特に金賞やグランプリ)を取るには、審査員と応募前から面識がある方が有利というのがわかってきた。癒着である。

そう思い始めると、面白いことにどういう人が受賞するか、事前にわかってくるようになる。それと同時にものっっっっっっっっっすごい落胆する。想像&創造していた時間を返せ、と。

さらに言うなら、賞と言うのは選抜であって、分母が多いほど価値がある。だから、お前(受賞者)に花持たせてやってんだから、なんかくれ(金券とか)、と思ってしまうのである。

 

政治の匂いしかしない社内コンペ

しかしながら、会社では社内コンペなるものが毎年と言うか毎月乱立している。全社コンペ、所属部署コンペ、プロジェクトコンペなどなど…

ある日、実在する企業(つまりクライアント)の商品の集客増加を目的とした企画を社内コンペするという、いわば企画する間はタダ働き的な通知がきた。私は当然、そんな「応募のお知らせ」が届いてもスルーしていた。すると、同じフロアにいるバカ真面目なストプラ(ストラテジックプラナーの略)の同僚から「ひらきさん、ぜひ協力して欲しいんだけど!」と熱烈なオファーされたのだ。私は開口一番「参加してもいいですけど、営業チームが獲りますよ」と答えた。

今回の題目は、集客のための戦略企画であって営業というよりもゴールまでの流れを作るマーケティングシステム開発に特化した人間の方が有利とは誰もが思っていた。なのに、である。

だって、審査員長が営業部長なんだもの。そして発起人が営業チームの係長なんだもの。

周囲は他の応募チームも含め「そんなこたーない」と高をくくっていた。私は渋々そのオファーを受けて企画をいくつか出した。審査は二次選考まであり、私が参加したチームはノミネートまで残った。

そこまで絞られるとどのチームが有力かなんて噂になる。誰もがストプラやマーケター、システム開発専門のいるチームを候補にあげていた。しかし、私はそこでも「いや、営業チームですね」との一点張りだった。

そして、結果は、

営業チームが受賞である。

その瞬間、思わず「ウェーイ、当たった〜」と爆笑&小躍りしてしまった。ストプラの同僚やチームの人たちはただ唖然としていた。

 

賞レースに疲れた私が編み出した賞レースの楽しみ方 

今回のことでもう賞レースはこりごりと思った私は次のフェーズに乗り出した。

賞レース賭博である。

主催や発起人、審査員が誰か突き止めれば大体予想がつく。ちなみに応募対象の成果物は見る必要はない。また歴史の長い賞であれば、歴代受賞をチェックすると自ずと法則が見えてきたりする。

例えば国内の広告賞(国外でもアジアの一部だとあるけど)だと、電通博報堂電通の下請け、博報堂の下請けが交互にバランスよく受賞していたりする。

ちなみにカンヌ映画祭アカデミー賞などの映画賞でも受賞傾向がなんとなくわかってくる。カンヌ映画祭では「万引き家族」がパルムドールを獲ったわけだけど、社会の暗い影を浮き彫りにするような映画を好む傾向が強い。「ロゼッタ」や「ある子供」などフランスの貧しく行き場のない子供たちを二度も描いでいずれもパルムドールを受賞したデルタンヌ兄弟が最たる例である。「万引き家族」がパルムドールを受賞したことで、日本はそんな国じゃないと批判した人もいるが、そういった問題に着目しているわけではない。社風と同じで、映画祭のクセによるものなのである。

さらに、できれば審査員もチェックしておきたい。審査員が受賞作から授けらる恩恵(例えば、広告だったらクライアント、本だったら出版社)について意識すると当たりやすいからだ。

こうした観点で考えると、賞レースは中にいるより外野で予想するのも面白かったりする(当たりやすかったりする)。

今や賞を獲ったからといって、パクリ疑惑が浮上したり、コンプライアンス的にどうなの?と問われたりするくらい、一般の人は情報を持っていて一概に褒められるものでもなくなってきているのだから。

 

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残業したら昇給しませんでしたけど、何か?

この前チェックしたメンタリストDaiGoの動画で、男女の賃金格差はどうも性差別が理由ではないんじゃないか、という研究報告があったが、私はこれに異を唱えたい。

この実験は被験者が男女問わず完全年功序列アメリカの鉄道員を対象にしているのだが、それでも男女で給与に差が出たというもの。原因は簡単で、男性が残業時間が多いのに対し、女性は少なかったからだ。

だから、仕事に対するモチベーションに差があるという話だった。

youtu.be

それを見て「え?私、残業してて評価下がりましたけど??」とついつい思ってしまった。

 

性差別はないかもしれないが、評価はボス次第。

私は以前広告ギョーカイで働いていて今はWEBギョーカイなので、いずれのギョーカイも働こうと思えば(というか納品までに)毎日でも徹夜オッケーという感じだった。以前いたチームのボスはタイムマネージメントのできない人だった。深夜12時に打ち合わせを入れるのだから。

それが働き方改革で深夜残業が禁止され、評価制度に業務効率化を加えると途端にボスの態度が変わった。残業するヤツは無能とばかりに。

残業時間の削減はいいことだと思うが、仕事量は変わらない。自分の担当は1日のタスクが終わるまで残ってやらなければ後回しにして納品を遅らせることはできない。

私はWEBのディレクターと制作を兼務しているみたいなところがあって、コーディングに回している間に企画を書いて、上がってきたところを検証して修正指示して…を繰り返していた。実際に人を増やしてほしい、と頼んだこともあったがボスは「予算がない」としか答えてくれなかった。

そして、給与査定の日。ボスから「残業が多いのは効率が悪いからじゃないの?」と詰められた。私は自分のタスクを並べて、「これだけやってるとどうしても工数オーバーになります」と訴えた。けれど「えーそんなに大変なの?大変そうに見えないよ」との一点ばり。結局、昇給はステイのままだった。

そして、そのボスが可愛がっていた男性社員が結婚したり、家を買うと昇給及び昇級していった。

 

イラついても査定は変わらない。だったら、

その後の私はというと、当然、「このボスと働きたくない、離れたい」と思うようになった。

幸い、うちの会社は異動願いに寛容で、他のチームのプロジェクトにハマればすぐに異動させてくれた。また、工数オーバーしていた仕事は半期ごとにクライアントの予算が減っていたため降りたいという意向も出していた。

私は裏工作して他のチームに営業をかけプロジェクトにアサインしてもらったので、そのボスからはまんまと離れることができた。

私の仕事は別の人がやっているけれど、相変わらず遅くまで残ってやっているようだ。そしてボスも、予算は減っているのに仕事量は変わらないので悲壮感を漂わせている。ザマーミロである。

 

結局、給与査定を決めるのはどこの機関か、誰かによって変わってくる。

アメリカの鉄道員は、給与の査定をボスがするのではなく機関が行うからこのようなことが発生する。

とりあえず、不当な扱いを受けたと感じたら、異動願いや転職などして不当な判断をした相手から離れることが得策である。

蒼井優の節約と消費税増税前の葛藤

あー、ついに消費税が10%になっちゃいましたね〜

駆け込み需要とか言って、家電や貴金属の売り上げが前年に比べて何倍もなったとか。ようござんしたね。

私は…私は…、すっごい考えたあぐねた挙句、とくに大きな買い物はしなかったよ。

その理由は、

  • 焦って結局無駄遣いしてしまう
  • 差分が大したことない
  • 輸入物は海外の免税をねらう
  • ポイントで購入する

…そう、来たるべき10%増税にそこまで悪影響はないと感じたからだ。

一番思いとどまらせたのは、差分が大したことないこと。

もし、0%からの引き上げだとビビるが、2%の差分である10万以上の買い物だと結構痛いけど、1万単位だと200円の違いなのである。

そう思ったら、大きな買い物が必要でない限り、急ぐことはないかな、と思った。

 

しかし、あとから200円の違いが高いか安いか、蒼井優の節約エピソードで思い知らされることになる…

 

grapee.jp

なんでも、クリーニングを仕上がって2日以内に取りに行くと200円安くなるからとタイミングを見て出しにいったらしい。

 

私は増税前夜に蒼井優の節約エピソードの記事を思い出し、なぜかドキドキしてしまった。

これは損得に対するドキドキではない。10,000円買っても税金800円から1,000円になるだけ、とたかをくくる女はダメと言われたような気がしたのだ。

だからと言って、私にだってそう思った理由がある。慌ててモノを買って為になったことが少ないからだ。大体あとで「どうしてこれ買った?」みたいな無駄使いが発生する。それだったら税金気にせず、然るべきタイミングで買ったほうがいい。

 

少し時間が経って、冷静に考えると節約ってする人にとって聞こえ(捉え方)が違うな、と思い始めた。要は、金持ちの節約と貧乏の節約である。

金持ちが100円でも200円でも節約すると聞こえがいいが、貧乏人が例えばチラシの特売をチェックしてスーパーに行ったり、せっせとポイントを貯めたりする行為に意を唱える人がいる。チラシの特売をチェックする時間がもったいない、そんなことばかりに時間を費やしているから貧乏になるのだ、増やすことを考えろ、と。

 

かくして、私自身がどちらに当てはまるかというと、即答で貧乏に当てはまるのだ。だから、この場合は山ちゃんの言うことなんて気にしなくていい。そして山ちゃんみたいな相手がいるわけでもないし。そう思うと安心して寝られるのだった。

高価な化粧品は女にとってのギャンブル

Netflixでも1ヶ月無料期間内に解約した私がサブスクっている動画がある。

それはニコ動チャンネル会員数1位を誇るメンタリストDaiGoの「心理分析してみた!」だ。

様々な心理分析や科学の知識・情報をほぼ毎日更新しているので、ラジオ感覚で見ている。

ch.nicovideo.jp

***

ある時、もっとも効果があるスキンケアの研究結果を紹介していた。

なんでも、アメリカ皮膚科学会(AAD)という世界的に権威のある研究機関の報告によると、効果のあるスキンケアは保湿と日焼け止めとレチノールだけだそうだ。

その他は効果がない、と。

daigoblog.jp

わかってる…わかってるよ、そんなこと…

効果がないこともわかっている。パッケージにコストがかかっていることもわかっている。原価がそんなにかかってないことも多少はわかっている。

 

でも、世の女性たちは何千円、何万円と購入してしまうのだ。

そして、「効いてるかも!」とプラセボな感じを味わいレビューしているのだ。

 

なぜ、なぜなんや…

 

スキンケアは女にとっての「コンコルド効果」

おそらく多くの女性たちは、メンタリストに「高い化粧品は効果ない!」と言われたからといって、高価な化粧品を買うことをやめないだろう。

それはおそらく「コンコルド効果」が働いているから。

コンコルド効果」とは、「埋没費用効果」の別名と言われ、ものすごいコストがかかる上に実現可能性が低いとわかりながら、それでも投資してしまう心理のことだ。そして、それまでに費やした投資のみに注目してしまい、惜しい・もったいないという気持ちが働いて、ついついやめられなくなってしまう。

勇気を振り絞って購入した時、パッケージから取り出して肌に塗布している時の恍惚たるや。これがついついやめられなくなってしまう、リピしてしまう心境である。

 

KPIは、美容部員と張り合える肌になること

ちゃんと美容やらなきゃ…と最も思ってしまうのはいつだろう?過去の色々を巡らせて考えてみた。

女友達といるときか?男性といるときか?否、違う。

美容部員と並んで自分の顔を見たときだ。

デパコスに行くと、肌の綺麗な美容部員たちが働いている。そして試しに鏡台に行くと、私と美容部員が鏡に映り込む。そして思う。「私ってなんでこんなに肌汚いんだ…!」と。

こんな心境、朝、どすっぴんの自分を鏡で見ながら化粧を始めるときには感じない。

色々と比較してしまうのだ。白い肌、つるんとした頬、絶対化粧落ちしそうにないアイラインにマスカラ、整った眉毛、みずみずしい唇…

彼女たちは、商品のお手本にならないといけないので容赦無く塗りたくっている。

そこに美しくなるためのKPI(Key Performance Indicator =重要業績評価指標)を設定するのである。そして、美容部員と並んでも違和感のない肌になるまでの過程を真剣に考察するのである。

この美容部員と同じ化粧品を使うべきか、コストのかからない化粧品でカバーできるか、そもそも化粧品だけでいいのか、食事や髪型や服装はどうすればいいか、など。

そうすると自ずと、どんな成分が自分の肌にはいいのかがなんとなくわかってくる。

で、i herbとか検索しちゃったりして。

jp.iherb.com

わかっているけど、やっぱり…

でも、実験に使うような成分表記のみが記載されたシンプルなパッケージを見ると萎えてしまうのだ。これでいいのか、と。

しかし、そんな時、美しくなるためのKPIを思い出して方向性を正しい向きに変える。

そうすると、次回は美容部員と並んで映った自分の顔を堂々と見ることができるのである。

「あ、あれ?まだなんか足りないぞ??」そう思ったら、今度は美しくなるためのPDCAが始まるのだが…

苦手なヤツから逃げる工夫

天王寺動物園のシマウマが、エランドに刺殺されるという事件が起こった。同じエリアにいた二匹は口論でもしたのか、カッとなったエランドの「角突き」※という煽り運転にも似た攻撃により、命を落とした。

*1

www.city.osaka.lg.jp


何だか雰囲気が良くない場所は会社だけじゃなかった

もう10年以上前になるが、1度あの動物園には行ったことがある。その時の様子たるや。ほとんどの動物が寝そべってやる気を出していなかった。百獣の王と言われるライオンはすでに老人で毛並みもよくない。ただただ、「また人間きてるわ」程度の態度である。子どもがワクワクして見にくる場所なのに、なんだか雰囲気がよくない。まるで会社にいるようなどんよりとした空気が立ち込めていた。そこにきて、このニュースである。天王寺動物園は、生態的展示(ランドスケープイマージョン)と言われる、その生物が野生で生息していた時と同じような環境を再現していて、そこに放たれた動物たちを見ることができる。つまり、部署間を跨いでOKなフリーアドレスのような感じだ。しかし、広々とした自然と動物園は違う。柵や檻がなくなっても狭い世界は変わらない。

 

誰が責任取ってもいじめはなくならない

一つのフロアにひしめき合うのは、人間も動物も心身によくない。多様性が求められている時代だが、自分と違う人と仲良くしたり、尊重しあうことは難しい。多様性のメリットはプロジェクトが円滑に回せることであって、人間関係(動物もそうなのだが)が円滑になることではない。

とくに子どもは多様性のニーズを実感するほど、まだ長く生きていない。狭い世界に閉じ込められて個性だの多様性だの振りかざされてはたまったものではない。

つい最近、いじめ問題について、教育長がこんな発言をした。

「学校は命かけてまで行くところではありません」

www.asahi.com

正直、いじめはなくならない。いじめによる自殺が起きた時、マスコミは責任の所在を学校に向ける。けれど、そんなことをしたって教育委員会にも現状を維持しながらいじめをなくすなんてできないのだ。

いじめは、子どもだけでなく、職場やママ友など大人の中でもあることで、集団になると起きやすいことなのだ。

例えば、いじめっ子といじめられっ子とそれ以外がいたとして、いじめられっ子が転校するなどしてその場所を離れる。すると、それ以外の子の中からいじめられっ子が生まれるのである。いじめがなくなる、と言う考え方はない。逆にいじめっ子がいじめられっ子になって、それ以外がいじめっ子になる可能性もある。

 

ヒトは「いじめ」をやめられない (小学館新書)
 

 

自分の立ち位置、じゃなくて逃げ場所を探す

これは、個人の問題というより、いじめが起こりやすい環境を作ってしまうというのも一理ある。

動物だって、生息エリアが同じだからというだけで生活をともにしてこんな事件になるのだから、人間なんてよっぽどだ。

要は、無理やり距離感を縮めることに問題がある。 ちょっとでも気が合わないな、と思う人がいれば少しでも離れるのがいい。

どうも日本人は?嫌な人間に対してどう立ち向かうかを考えるのが下手な気がする。

大抵、懐に入ろうとする。無理だし無駄なのに。

懐に入って受け入れてくれると思うのだろうか。次の日から、お互い仲良くなるイメージが湧くのだろうか。

もし仲良くなったとしても、自分だって昨日までやられ続けた相手にニコニコできない。

自分の気持ちに手を当てて考えてみる。仲良くなりたいか、今後も仲良くなれないか。そしてさらに考えてみる。コイツ(嫌いなヤツ)と一生会わなくていいかどうか。

一生会わなくていいんだったら離れる方法を考えるべきである。

会社員だったら、転職、(人事に嫌がらせを受けていることを訴えて)異動、などなど。学生だったら、転校、クラス替えしてもらう、先生に相談して解決できるまで学校に行かないなど。小学校は義務教育だし、中学も高校進学に差し支えない程度で休んでもいいと思う。

あとは会社や学校以外の世界を見ること。これに尽きる。ネット上でもいいから会社や学校以外の人と知り合って話をすることで新たな逃げ場所(世界)が見つかる。ブログに書くのもいい。

 

シマウマのヒデヨシだってアフリカにいれば、エランドに睨まれてもシマウマ同士、あのシマ模様で惑わして逃げれたはず。たとえ同じ世界に生きていても。

*1:縄張りや恋の争いを起こしたときの攻撃